Cantabile 歌うように
カンタービレ、私は学生時代以降、ずいぶん長くこの言葉を聞かなかったように思います。
それが、「のだめカンタービレ」というテレビ番組(映画もできていますが)以来、しょっちゅう耳にしています。ドタバタなんですけど、面白いです。
ある指揮者が世界中のオーケストラの奏者に質問しました。
「どうしてあなたはこの楽器を選んだのですか?」
その答えはなんだったと思いますか?
なんと、そのほとんどが「人の声に似ているから・・・」だったそうです。
それほどまでに <人の声> は音楽を愛する人にとって、ベースとなるサウンドであり、人の心をとらえてやまないものなのです。
イタリア人が美しく感じる音もまた <人の声> です。彼らは人のあたたかな息を通して作る声にこの上ない美を感じるのです。
イタリアの街々にはプロの歌手だけでなく、たくさんの歌の名手がいます。ゴンドラの歌い手、八百屋のおじさん、タクシーの運転手・・・。ヘタすれば彼らの方がプロよりうまいじゃない、なんて声がザラ。
彼らは一旦歌いだし、興がのりはじめるともう大変! 「ブラーヴォー! 最高!!」の声が出るまで、決して歌うことを止めません。
そんな陽気なイタリア人を代表するような音楽用語がカンタービレです。辞典には「歌うように」と訳されています。
カンタービレ、この言葉のニュアンスとして大切なことは、ただ歌うだけではなく、それが耳に心地よいものであること、音域にあまり大きな高低差がなく、あまり速い速度ではないこと・・・、などがあります。
なるほど、誰もが気軽に歌えて、メロディーを自在に操るために、これは大事な条件ですね。
さすがは歌の王国イタリアです。
ところで実に意外なことだと思いますが、イタリアの小学校には音楽の授業はありません。中学校に至っては選択授業。
彼らが一緒にうたえる歌はほとんどないと言ってもいいくらい、国歌だってあやしいものです。不思議だと思いませんか。
どうもその考え方の根底には <音楽は習うものではない> という思いがあるようです。音楽は心から自然に湧き出てくるもの、つまり心の発散であり、教育さるべきものではない、そういう考えです。
だから、大テノールといわれる人の中にもまったく楽譜が読めない人だっています。それでも一向に構わないのです。
これも意外なことかもしれませんが、イタリアではピアノのある家は極めてまれです。
これはある面、音楽は芸術であり、一部才能のある人のためのもの・・・という考えがあるからです。しかし、こと歌は万民、一般大衆が共有する財産です。歌心は特別なトレーニングを受けることなどなくても、誰もが持つことのできる立派な才能なのです。
「これで納得! よくわかる音楽用語のはなし―イタリアの日常会話から学ぶ」
関
孝弘, ラーゴ・マリアンジェラ (全音楽譜出版社) からの抜粋、要約
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