まずは、パヴァーヌ と ガリアルドについてです。

ジョン・ダウランドのラクリメ(あるいは涙のパヴァーヌ)などで、パヴァーヌとガリアルドが組み合わされて演奏されることが多かったようです。普通はパヴァーヌの後にガリアルド。

私は、パヴァーヌは宮廷での舞踏会の入場行進の曲、というように聞いた覚えがあります。



★ パヴァーヌ (仏語:Pavane、英語ではパヴァン)

16、17世紀の宮廷舞踏、行列舞踏で、ラテン語のPavo(孔雀)から由来したパドゥアから発生したといわれるダンス。
パヴァーヌのかしこまった行進は、厳粛なスペインに影響された16世紀イタリアの宮廷作法に似つかわしく、パヴァーヌはスペイン起源の舞曲なのかもしれないと想像させるが、パヴァーヌの名称の由来はいまだに諸説に分かれている。

ゆったりした2拍子系のリズムで男女のペアが列を作って踊るのが普通だが、初期の頃には時には3拍子のものも用いられた。
ダンスとしてのパヴァーヌは、しばしば一組のカップルの行進の意味で使われている。

アルボーのフランス語のダンス指南書『オルケゾグラフィ"Orchesographie" 』によると、パヴァーヌは王侯貴族のための踊りで、たいてい即席の舞踊であり、踊り手は自由自在にステップを飾り立てることができたとある。
イングランドの資料によると、パヴァーヌは、いくつかの小節ごとに組み分けされた単純な舞曲で、振付けられており、また、イタリアの文献によると、パヴァーヌはしばしばかなり手の込んだダンスで、ガリアルダなどの部分が続いた。
1630年代半ばにダンスそのものは時代遅れになり、ルイ14世の宮廷でパヴァーヌはアルマンドに追い落とされたが、曲としてのパヴァーヌは数百年にわたって生き続けてきた。

古い時代の主要なパヴァーヌの作曲家は次のとおり。

ピエール・アテニャン(1494年ごろ - 1552年)
アンソニー・ホルボーン( - 1602年)
ウィリアム・バード(1543 - 1623年)
トマス・モーリー(1557年ごろ - 1602年)
ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(1562 - 1621年)
ジョン・ダウランド(1563年ごろ - 1626年)《涙のパヴァーヌ》
オーランド・ギボンズ(1583 - 1625年)
ヨハン・ヘルマン・シャイン(1586 - 1630年)
ザムエル・シャイト(1587 - 1654年)
ヤコブ・ファン・エイク(1590 - 1657年)ダウランド作品に基づく、リコーダー曲


★ ガリアルド  (仏語:Galliarde

16世紀に流行した舞曲の一つ。軽快で速い3拍子系のリズムをもつ。
ガリアルド(仏語:Galliarde、英語読みではガリアード)またはガイヤルド(仏語:Gaillarde)は、

1400年ごろにフランスに普及した歴史的舞曲。急速な3拍子の跳ね踊りで、緩やかな踏み踊りであるパヴァーヌとしばしば組み合わされる。「パヴァーヌ」-「ガリアルド」の組み合わせは、後に「アルマンド」-「クーラント」の組み踊りに追い落とされた。

元来は大衆舞曲であったが、15世紀末までにヨーロッパの数多くの宮廷に採用された。16世紀の舞踏指南書には、この舞曲のたくさんのバリエーションが記されている。

ガイヤルドは、ひとりで踊ることも、またパートナーと一緒に踊ることもできるが、宮廷社会においては常にパートナーと踊るものとされた。イングランドのエリザベス1世は熱狂的なガイヤルドの踊り手として有名で、同女王の寵臣エセックス伯爵のテクストによるダウランドのリュート歌曲《彼女は許してくれようかCan shee excuse 》は、ガイヤルドのリズムが使われている。


 

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